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コービー ブライアント シュートミス 歴代1位から分かる凄さ

ラテ
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「人生楽しんだもん勝ち」をモットーに色々な事に挑戦中!やりたくなったら直ぐにやってしまう。だから失敗も多い、ホントに多い。 でも、決して折れない鉄の心を持っているポジティブで、超せっかちな40代おっさんです。 失敗から導きだされる成功の方程式をブログにて発信中 きっと、気になる失敗(記事)が見つかるはずです!

 

コビー・ブライアントと実はタメだったラテです。

私も中学校、高校時代バスケ漬けの6年間を送ってきました。

私がコービーを知ったのは、20歳前半の頃、時は1999年。

その時、レイカーズに所属していたコービー・ブライアントとシャキール・オニール。

このコンビが強烈だった。

1999年〜2001年レカーズが3連覇した出来事は今の伝説としてとても有名です。

そんなタメでありながらNBAの頂点に降臨していたコービーのことが、

私たちバスケ部の同級生の間では誇りでもあり、彼の活躍は嬉しかった。

コービーは傲慢ごうまんなど否定的な意見もあったが、むしろ私たちの中ではその傲慢さすら魅力に感じていた。

バスケ部のみんながコービーの事が大好きだった。

同級生のヒーロー的な存在だった。

 

そんなコービーは2020年1月26日突然、逝ってしました。

それを知ったのは、バスケ部のライン。

コービーの乗っていたヘリが墜落して死んだ、、、

あまりにも突然だった。

何が起きているのか分からなかった。

そこまで、日本のメディアは取り上げていなかった。

当然の事なのかもしれないが、、、

情報が少なかった。

でも、コービーが死んだと言う事は事実だった。

あまりのも突然過ぎて、悲しいというかなんとも言えない気持ちだった。

「こんな事ホントにあるんだ」

私はコービーとは、タメで一方的に好きだっただけれど、

コービーの凄さは知っています。

コービーのなかで凄い伝説は何か問われたら、私はこう答えます。

「コービーが誰よりもシュートを打ち、そして外した事」

改めてコービーがどれほど凄かったのか、私が知っている一番好きな伝説を語りたいと思います。

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コービー ブライアント シュートミス本数 歴代1位

私が一番好きなのコービーの伝説は、

「コービーが誰よりもシュートを打ち、そして外した事」

そう、コービーは2014年11月 シュートミスの本数が歴代1位となった。

普通、コービーの伝説を語るのであれば、コービーを神と崇めるような成功した伝説を語るべきだろう。

しかし、コービーを神と崇めるような成功した伝説は世に溢れている。

コービーが誰よりも多く成功を収めたことは誰もが知っている。

だからこそ、今日はあえてコービーの普通とは違った伝説を語りたい。

「シュートミスの本数が歴代1位」

こんな伝説があるのもコービーの良さだと僕は思う。

誰だって普通「シュートミスの本数が歴代1位」となればネガティブな印象をもつ。

しかし、このネガティブな印象を抱くのは世間一般の考え方。

コービーは1ミリもそんな風には考えていない。

2014年11月、当時のインタビューでこう答えている。

「そんな記録があったなんて知らなかった」

「私は19年間プレーしているシューティングガードなんだ」

「正直、その事について全く気にしていない」

言いかえればこうだ。

【19年間プレーしているシューティングガードなのだから当然の事】

コービーは挑戦し続けることの大切さと難しさを誰よりも知っていた。

だからこそ挑戦し、その結果が「シュートミスの本数が歴代1位」となった。

ただ、ココービーにとっては、それだけの事だった

だからこそコービーのプレーを傲慢ごうまんや自己中などと否定的な意見もあった。

しかし、逆に考えればコービーは誰よりも多く挑戦したという証明の証でもる。

結果的に「シュートミスの本数が歴代1位」となっただけで、

それだけ多くの挑戦=チャンスを作り上げる力があったということでもある。

しかし、力があるだけではダメ。

凡人であれは、シュートミスという重圧。ファンやマスコミのプレッシャーに押しつぶされるだろ。

でも、コービーはそんなプレッシャーにも負けず挑戦することを諦めなかった。

でも、コービーがただ闇雲に挑戦していた訳では無いことを理解してほしい。

コービーは自分がヒーローになれることを誰よりも疑っていなかった。

それは、なぜか?

「コービーは練習の虫で、誰よりも練習していたから」

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コービー・ブライアント 練習の虫

コービーがレイカーズに入団したのが1997年。

その、1997年5月ウエスタンカンファレンス準決勝ロサンゼルス・レイカーズ対ユタ・ジャズ第5戦でそのできごとは起こった。

第5選=負ければ後がない、重要な試合であることは理解してほしい。

重要な試合でかつ接戦で試合が進む。

同点の状況で残り数秒でコービーがシュートを打った。

ボールはリングを大きく外れリングにも届かなかった。

同点で5分間の延長戦突入である。

延長戦左サイドから3ポイント、コレも届かない。

試合残り40秒頂点から3ポイントを打つが届かない。

その後、ジャズが3点リードした状態で、残り4秒でコービーが3ポイントを放つ。

5分間でエアボール4本。

96対93でジャズが勝利した。

飛行機でロサンゼルスに戻ったその日、ブライアントはパリセーズ高校の体育館で夜通し、シュート練習をした。

朝日が昇っても、まだ練習していた。

コービー本人も、この経験が自分を形作ったと話していた。

「逆境、世間の詮索、自信喪失などに対処できるようになるために、私にとってキャリア初期の転機となった。今では懐かしい思い出だが、当時は惨めだった」

この失敗を経験し、コービーは練習の虫になった。

コービーが大成したからこそ、この話が伝説になったのかもしれない。

でも、エアボールを4本放ち、練習をはじめた夜はコービーが大成することなんか分からなかった。

でも、コービーは練習した。

そして、コービーは挑戦することを恐れないくなったんだと思う。

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コービーありがとう【だから僕も挑戦し続けます】

「シュートミスの本数が歴代1位」

この伝説が不名誉な伝説ではないということをコービーが証明してくれました。

おそらくこの伝説はもう破られる事はないのかもしれない。

今日、語ったようにコービーがいろいろな事に挑戦する姿を目にし、

そんな、コービーが大好きだった。

そして、そんな姿に憧れていたんだと思う。

コービーが僕たちに教えてくれたこと

何度も挑戦し、何度も失敗することを恐れない

最近の僕は、何かに挑戦しただろうか?

忙しさを言い訳に何も挑戦していなかった。

そして、新しいことを始めることにビクビクしていた。

僕に守るものは家族だけ、、、

そして、僕たちはまだ生きている。

リスクばかりを考えて、挑戦しない人生なんてもったない。

そんな人生こそ、自分らしいと僕も思う。

この記事を書いて、そんな事に気づけた気がした。

ありがとうコービー、、、

僕はいつまでも挑戦し続けます!

皆さんも挑戦することを恐れないでください。

最後にインスタで話題の写真です。

一見何もない写真ですが、よくみると「kobeとGianna」のスペルで描かれています。

 

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The detail put into this portrait of Kobe and Gigi, using only their names, is amazing. ⁣ ⁣ (via @alx.n.ria)

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日本人で頑張っている彼に勇気づけられています!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

では、また!

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「人生楽しんだもん勝ち」をモットーに色々な事に挑戦中!やりたくなったら直ぐにやってしまう。だから失敗も多い、ホントに多い。 でも、決して折れない鉄の心を持っているポジティブで、超せっかちな40代おっさんです。 失敗から導きだされる成功の方程式をブログにて発信中 きっと、気になる失敗(記事)が見つかるはずです!

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